授業至上主義に異議アリ
京大の理系学生で、中学受験向けの予備校でアルバイトをしているスギゾーと申します。京都大学に通って勉強しつつ、小学生を教えていることで、教育を与える側受ける側の両方を日々体験しています。
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日本に蔓延する授業至上主義
自分が受験生活を送った中で最も疑問に思ったことのひとつが、「授業を一番大切にしろ」というものでした。「冷静に考えれば、先生が言うことと同じことが参考書に書いてあるじゃないか」とずっと思っていました。当時自分が通っていた学校の校門で、武田塾という自習至上主義の予備校がビラを配っていたことも影響のひとつでした(武田塾については、自習専門を謳うのであればわざわざ予備校としてやっていく必要もないとは思いますが...)。
偏った考え方ではあると思いますが、現状の教育の現場を見ていてもやはり授業至上主義という考え方がいまだに残っているのではないかと思います。そこで、今回は授業という教育システムについてお話しします。
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授業のメリット
もちろん自分は授業を全否定するわけではありません。授業のいいところについては、以下のものが挙げられます。
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噛み砕いた解説が聞ける
基本的に先生は我々の100倍賢いです笑。もちろん一部の先生は惨憺たる実力の場合もありますが、多くの先生は我々より賢いです。ですから、その先生方が自分が過去つまずいた経験や、今まで多くの生徒を教えてきた経験をもとに行う講義には大きな価値があります。
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質問しに行くことで完璧にわかる
授業でわからなかった場合、個別に質問に行けばわかるまで教えてくれます。授業を行う際には、時間の関係上詳しい説明が省かれることがありますが、聞きに行けば具体的に詳しく教えてもらうことができます。
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勉強のペースメーカーになる
これは文字通りで、例えば数列の内容をやっているから、次の期末テストまでに数列について最低限出来ているようになっている必要があります。このように、学力をつけていくうえでの時間的な目標になってくれます。
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授業のデメリット
ではそんな授業のデメリットはなんでしょうか自分としては以下のものが挙げれます。
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無能な先生の授業であっても時間を奪われる
これが一番厄介なのですが、何も得るところのない無能な先生の授業であっても、等しく時間を奪われてしまうことです。もちろん内職をしたり居眠りの時間にあててしまってもいいのですが、やはり気は散りますし罪悪感もあります。ですから、基本的にはそのような先生の授業時間は何よりも非生産的な時間と言えるでしょう。このような授業の見分け方については、過去の記事でお話ししました。
「ムダ」な授業 ②ムダな授業の見分け方 - 受験ライフハック
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知っている内容の授業だと退屈になる
その先生が有能でためになる内容を話していたとしても、自分が既にマスターしている内容であれば、得るものは少ないです。特に学校の授業であれば、成績が比較的低い層をメインターゲットとした、基礎的な授業が展開されていることが多いため、自分で学習が進んでいる生徒ほど、授業に物足りなさを感じてしまうでしょう。
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内容の進行速度を自分で決められない
これも前述の内容と似ているのですが、授業の進度を自分で決められないということです。授業がスローペースだと退屈で無意味な時間が増えますし、逆に速すぎてもわからな過ぎて虚無な時間が過ぎることになります笑。
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アウトプットが疎かになりやすい
授業という学習の形態である以上、先生が生徒に知識を与えるというスタイルになりがちです。勉強を身に着けるにはアウトプットをすることが必須なのですが、授業だとこのような機会が少なくなってしまいます。ですから、漫然と授業に頼った学習スタイルだと、アウトプットの機会が少なくなることで、勉強しているはずなのに成績が伸び悩む可能性があります。
いずれの要素にも共通するものは、「授業は自分でコントロールできない要素が多い」ということです。影響の輪の考え方で言うと、人間は自分でコントロールできないものにストレスを感じるので、漫然と授業を受けるということはストレスフルな受験生活につながるというわけです。
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授業を上手に使っていこう
では授業はどのように活用すべきなのでしょうか。結論からいうと、「自分に今必要なインプットは何なのか」ということを明確に意識したうえで、必要な授業を取捨選択することです。今の自分が授業からでしか得られないものを漠然とでもいいので把握しておくと、今自分が受けている授業が必要なものなのかが明確になってきます。基本的に授業はストレスフルなものですから、なるべく肩の力を抜いて、必要最低限の授業だけまじめに受けようと思った方がラクだと思います笑。
それでは。