受験ライフハック

教育に携わる京大生の筆者が考える、受験にまつわるコツと幸せ

「ムダ」な授業 ①ムダな授業の弊害

 一般的には、「授業をちゃんと聞いて、復習する」というのが勉強の王道とされていると思います。確かに、勉強の右も左もわかっていない状態であれば、その分野をすべて理解している先生に噛み砕いて教えてもらうことには大きな意義があります。

 しかしある程度学習が進み、特に比較的高いレベルの志望校を見据えた受験勉強の段階まで進むと、すべての授業をまじめに聞くというのは必ずしも最短経路であるとは言い難いのが事実です。実際、自分は高校の授業に関してはほとんど聞いていませんでしたし、予備校でも本当に必要な授業のみを取っていました。自分の周囲でも、優秀な友人ほど効率的に授業を取捨選択していた印象があるように思います。

 そこで、今回は「ムダな授業」が受験生活にどのような悪影響を及ぼすのかという点について書きたいと思います。

  • 疲労が溜まる
  • 学力がつかない
  • 勉強した「気に」なる
  • 時間の浪費

 「疲労が溜まる」という点に関しては、50分ほどの時間を座ったままで過ごすことの単純な身体的疲労の他、行儀よくしていなければならない精神的疲労(これは自分だけ?。。笑)などが挙げられます。家で一人で勉強するならば、わからない問題にあたったときに独り言やストレッチで気持ちを誤魔化せますが、大人数の授業だとそうはいきませんよね笑。勉強による頭の疲労感とは関係のない疲労であればできれば避けた方がラクです。

 「学力がつかない」というのはシンプルで、内容のない授業を受けても学力はつきません。自分が通っていた高校でも、教科書を朗読するだけの先生がいましたが、もちろん成績アップは見込めませんでした。

 「勉強した「気に」なる」というのがある意味一番厄介で、授業によって時間も体力も失っているため、学力はついていないのに妙な達成感?のようなものを錯覚してしまうことがあります。これは本当によくないことで、本来ならば放課後の自習に費やすべき気力・体力を失うばかりか充足感だけはあるため、全く成果につながりません。

 「時間の浪費」に関してはなかなか改善することはできないのですが、「ムダな授業を聞いているこの時間で自習ができたらどれほど効率的だろう」、と当時はよく考えていました。いわゆる「内職」は先生に失礼ですし褒められた手段ではないのですが、生徒の学習の多様性を認めてくださる先進的な先生であれば公認してくれることもあるので、その場合には遠慮なく甘えさせてもらうのも手かもしれません。

 具体的な「ムダな授業」の見分け方や対策についてはまた後日書きたいと思います。

 それでは。